「自分の一番のファンは自分」だということに気づきました

昨晩、尊敬しているブロガーのおひとりであるあまかずさんがFacebookにこんな一文を投稿していました。

僕がアウトプットする際に意識していることがある。

それは…

「自分の一番のファンは自分」

だということ。

ブログにしたって、DJにしたって
自分のアウトプットした物を自分が好きになれなきゃ、誰が好きになってやれるんですか。

自分のアウトプットに愛があればこそ厳しくも、熱狂的にもなれる。

この気持ちがあるからブログもDJも続けられる。

これを読んでふと心の中から湧いてきたのは「ああ、そういえば私も私の中国語の音読めちゃ好きだわ。」という思い。

最近自分がやれてないことが多すぎて自己嫌悪がひどくて気分が落ち込みがちでした。

でも、あまかずさんの投稿を見て思い出したのです。

子どもの頃から実は自分のことはそんなに嫌いではなかったことに。

 

外に目を向ければ自分よりも見目麗しく、賢くて器用で能力の高い人がごまんといることに圧倒される。

外からの評価と自分の評価は往々にしてかみ合わず、「自分はダメなのか。選ばれないのか?」という悔しい思い、納得できない気持ちを4歳の時にすでに味わった。保育園のお遊戯会で踊りたかった演目ではないものに回されたこと、それだけでも不本意なのに舞台の立ち位置が「センター」でないこと。発表当日まで私の機嫌は直らず、母親が本番前に撮ってくれた記念写真も嫌々ポーズは決めているが、顔は今にも泣きだしそうというか怒りに満ちていた。

また年長クラスになって「自分はできる!自分は上手い!」と思ってピンクレディのUFOを楽しく踊っていたら、どういうわけか「みどりちゃん、うまくないくせに踊らないでよ!」と冷や水を浴びせかける嫌な奴が保育園の同じクラスにいて、強制終了させられたことがあった。どんだけ性格悪いんだか。幸いその子とは今現在一切つながりがない。

一年前に辞めた派遣先にいた「トンデモパワハラお局」も同じ部類だったかも。こちらから遠ざかって本当にヨカッタ。

 

確かに誰かと比べたらたいしたことはないのかもしれない。

でも私は自分の顔も、音読も、オルガンも、そして実は翻訳した文章も結構好きだったりする。

他者からの評価と自分が自分に与えている評価のズレに過敏になっていたのかもしれません。

というわけでこれからは自己満足の文章や音読が怒涛のように溢れ出るやもしれません(笑)

他者からの評価がなくても自画自賛できる時はしていこう!